化学物質過敏症・電磁波過敏症克服の体験談 <4>避難していた山中の家から自宅に戻り、 今では元気になって普通の生活を送っています。 (1/2)

1996年5月 体調をくずす、.慢性疲労症候群かと思い病院で検査。
原因がわからず。12月 大腸癌初期とわかる。1997年1月  手術。
春~ 家のリフォーム、壁紙張り替え、風呂リフォーム、
有機溶剤の臭いに体調が悪くなる。

2001年8月 トイレ・押入のリフォーム。その日のうちに押入の合板の
臭いに体調が悪くなる。ジーンという音が聞こえ、
鼻をつくにおいに不快感。
だんだん家中の物に反応し身の置きどころがなくなる。

9月 NPOの人から、化学物質過敏症といわれ、電磁波に
気をつけるよう言われる。
すべての物に反応。印刷物、新建材、防虫剤、
クリーニング洗剤、排気ガス(外に出てもフラフラ)、
自分の着ている服、布団にも反応。

9月末 実家に戻る。空気が自宅より良いが、家の中の物に
反応し、片付けてもらう。着る物、布団が合わない。
食物は問題なし。

10月 妹に温泉に週5日、10ヶ月つれていってもらう。
水を飲みながら、汗を出す。やせて、体力もつき、
かなり快復した。

2002年1月 専門の研究病院受診
多種類型化学物質過敏症と診断。瞳孔が異状に
縮んでいて、光にあまり反応しない。
動くものを目で追うことができない。

5月 化学物質過敏症の症状はかなりあるものの、
体力はついていった。新建材の新しい建物や
100円ショップ、ホームセンター、洋服売り場、
電車等は臭いと感じた。

2002年5月 体力もついて、実家から電車で30分の
ダンス教室に通うが、車内は臭い、
教室は窓を開けてレッスンを受けた。

9月  自宅で、夫のクリーニングした衣類を
始末している時、反応。
排気ガスにも強く反応。
専門の研究病院に解毒剤の点滴に
通う。以降時々点滴を行う。
実家でも排気ガスが辛くて、
しばらく窓があけられなくなった。

2003年6月 大学病院の歯科を受診。歯の根の治療
(無機質のもの、 安全というものを使った
のですが)で体調悪化。
体がふらふらになり、横になると動悸がして
(2ヶ月続く)、夜、眠れなくなる。
音など、あらゆるのもに敏感になる。

7月 電磁波過敏症発症。音も辛い。

8月 福島の温泉へ行く。
(Nさんに出会う。福田潤子さんを紹介される。)
実家に帰る。電線からの電磁波が強い。
大型車の通行量が多い。音に反応~電柱の
柱上変圧器からのワーン、車のからから
といった高音、重低音が不快音として感じる。
車の音に気が狂いそうになる。耳鳴りもする。

9月 妹の家でしばらく世話になり、
あちこち逃げ場を探す。

10月 伊豆の土地を見に行くが、体調悪化。
頭が突き刺すような痛み。起きられず、
家で一日の半分は眠っている状態。

11月 昼間だけ静かで低周波の弱い家を
妹に探してもらい、借りる。家の中は
窓を開けないといられないが、音は楽になる。
この間、妹に頼み、あちこち家を探して
もらうが、見つからない。
家を建てるつもりで土地を買う。

2003年12月 夫が退職して、実家に住む。音は楽になったが、夜に
異常な寝汗をかく。

2004年4月  再び体調悪化。頭から電磁波のシャワーをあびている
ようで、家の中も外も頭から肩にかけて重い鉢を
かぶって いるうようで、気力もなく、考える力もなくなる。
実家にいるのが辛くなる。頭に突き刺すような痛み。
耳の後ろ、後頭部、顔、口のまわりがピリピリする。

4月末  妹に頼み、海辺で、空気もよく、携帯の電波も届かない
ところの家を借りる。少し楽になる。
同時に、夫に頼み、山の中の古い家を買い修理する。
(青島先生に来ていただいた家)

6月 その家に移り、楽になる。

8月 福田さんの記事をインターネットで見るが、自分は横浜
まで行けないと あきらめていた。
青島先生の本、DVDを購入する。

9月 青島先生の本を読み、買った土地に家を建てることを
止める決心をし、夫を説得する。いずれにしても、
ここでは生活が不便なので、他の条件のよい家、
土地を探す。
夫は退職後、ずっと家探しをしてくれていたが、
見つからない。

10月 台風で屋根を飛ばされ、大修理。
元気になっていたが、長く歩くと体調が悪くなる。
日によって大きく違う。
化学物質過敏症、電磁波過敏症ともに楽な所に
いたので、たまに実家に帰るとよく感じた。
しかし、化学物質過敏症はかなりよくなっており、
着るものにも困らなくなり、ブティックに入っても
臭わなくなった。
電磁波過敏症も発症時に比べればよくなっていた。
日によって冷蔵庫の前でボーっとなる等、波は大きい。

(2/2)へ続く