事故が続き、長年、移転できなかった 羽田空港大鳥居の移転 青島大明の邪気祓いの気功施術

「たたりがある!」と恐れられていた羽田空港の大鳥居移転

生命エネルギーである「気」の中には、悪いものもあるのです。このような「悪い気」が溜まる場所では、次々に事件や事故が起き、失われた命から発生した「悪い気」がその場に留まるという悪循環を繰り返してしまいます。それが何十年何百年もの時間を経過しますと、もの凄いエネルギーを持つこととなります。
日本では新しい建物を建てる前には、必ず神主さんを招いて地鎮祭を行います。これは、その土地に溜まっているかもしれない悪い気を収め土地を清めることで、これからそこに住んだり働いたりする人の健康を守ろうとしているのです。
地鎮祭に際しても、気功の力が必要とされています。私がこれまで行った最も大きな地鎮は、羽田空港の大鳥居移転に際してのものでした。
この大鳥居は、たたりのあるものとして有名でした。1994年5月18日付の『朝日新聞』は、一面に<ポツンと「伝説」の大鳥居>と題された変わった記事を掲載しています。

ポツンと「伝説」の大鳥居 -羽田-

[朝日新聞朝刊(1994年5月18日)]

 昨年九月に新ターミナルビルが開業した東京・羽田空港で、旧ターミナルの解体工事が進んでいる。重機械がごう音を上げるその前に、鳥居がひとつ、取り残されたように立っている。
戦前からこの地にあった、穴森稲荷神社の「一の大鳥居」だ。

記事は、こういう書き出しで始まります。覚えている方も多いかもしれませんが、かつて羽田空港の駐車場の真ん中には、大きな赤い鳥居が立っていました。近代化の証というべき空港と歴史的な鳥居とのアンバランスさに、違和感が漂っていたものです。
なにもミスマッチの面白さを狙って、その地にあった鳥居を残していたわけではありません。鳥居を移転させようと過去に何回か計画が立てられたのですが、そのつど「異変」が起きたために実現せずに流れたのです。朝日新聞の記事を続けましょう。

 終戦直後、空港を接収した米軍は、大規模な拡張工事に着手。 神社を強制退去させ、鳥居も何度か取り壊そうとしたが、そのたびに作業事故が起きたり、工事関係者が病気になったり・・・。
「お稲荷様のたたりだ」と恐れられ、残されることになった、と伝えられる。
今回の解体工事でも手つかずにされた鳥居だが、空港の沖合展開計画に伴い、すぐ近くに新滑走路ができるため、近く「立ち退き」を余儀なくされそうだ。

青島大明:羽田空港大鳥居移転
↑重機械がごう音を上げるその前に、鳥居がひとつ、取り残されたように立っている=写真。

羽田空港移転のエピソード

[青島大明著『病気がすべて治る「気」の医学』より抜粋 (2002年8月講談社刊) P41~
GHQさえもが移転を断念せざるをえなかったというのですから、よっぽど大きな「異変」が相次いで起きたのでしょう。
さらに1982年にも空港拡張計画が浮上し、大鳥居も動かすことが決まったそうですが、その年の2月、日航機が羽田空港に着陸しようとしたその直前に、機長が「逆噴射」をして墜落。24人もの方が亡くなるという痛ましい事故が起きました。そのために再び計画は流れたそうです。
ところがご存知のように、羽田空港は99年に大規模な沖合移転をし、大鳥居も移転を余儀なくされました。実はその際に私は、運輸省の担当者から地鎮の要請を受けたのです。98年の夏のことでした。要請を受けた時点で私は、これは相当大変な作業になるだとうと覚悟を決めたのを覚えています。
さて8月7日、実際に羽田空港に赴き大鳥居を見てみましたところ、そんなに鳥居が悪いとは感じませんでした。
「悪い気」を封じる場合、線香を3本立てる方法があります。横一列に線香を並べ火をつけるのです。そこで、まず気の状況を調べようと線香を3本立てました。ところが火をつけるや、突風が吹いて、不思議なことに右端の線香が消えてしまったのです。
その日は、もの凄く暑い日でした。炎天下で無風状態の中に始めたのに、突如として強風が起きるなど考えられません。にもかかわらず、線香に火をつけると同時に風が起きるのです。
線香の位置を差し替えて再度やってみましたが、やはり同じ位置の線香が消えました。
この線香のやり方は、3回までしかできません。やはり初めに感じた通りに、「悪い気」が出ているのは鳥居からでなく、その後に聳え立つ大木だと思って、そちらに向きを変えた瞬間、私の身体の中に強力な邪気が入ってきました。それを体外に押し出すために、私は嘔吐したのです。
でもこれで原因がはっきりしたのです。大木から発する「悪い気」を封じる法術(これは秘術のために、詳しいことは言えません)を施しました。これで封じたと感じた時点で、もう一度線香を立てたところ、今度は消えませんでした。
本来、移転が計画されていたのは10月だったのですが、「10月に実施するとまた大事故につながるので、翌年の2月か3月になってからにしてください。そして、決して木を傷つけることのないように移転したほうがよいです」とだけは、忠告させていただきました。
実際に移転は翌年の2月4日に実施されましたが、その時やはりもの凄い風が吹いたそうで、その様子はビデオに撮ってあるとのことです。幸い、他に何のトラブルもなく作業は無事に完了できたのです。

詳細は青島大明著病気がすべて治る「気」の医学をぜひご覧ください。
告白 たいへん不思議な羽田空港大鳥居地鎮のエピソードでは羽田空港大鳥居の移転のために地鎮を行った青島大明が不思議な体験について語っています。
霊(情報)による病気を理解するでは、外気功で治りにくい病気を克服するために霊(情報)的な気を取ることができる「法術」と出会ったエピソードなど、霊(情報)的な病気について解説しています。

参考資料

羽田空港大鳥居について過去にメディアに報じられた様々な記事を紹介します。

奇々怪々!? 残る大鳥居

[読売新聞神奈川版(1994年11月13日)]
この鳥居は何度も取り壊されそうになったが、そのたびに作業事故が起こり、保存されたという“怪奇伝説”も残っている。運輸省と地元の間では今後の保存についての話し合いが続けられているが、まだ決まっておらず、旧ターミナルの解体作業関係者が今も鳥居にお供えをしている。

羽田の大鳥居撤去か保存か 滑走路移転で浮上

[日本経済新聞夕刊(1995年1月11日)]
“たたり”GHQも手出せず 「触らぬ神に・・・」二の足
東京の空の玄関、羽田空港をずっと見守ってきた穴守神社の大鳥居を、撤去するか保存するかで運輸省が決断を迫られている。
「この大鳥居をGHQが取り壊そうとしたところ、何人もけが人が出たためマッカーサー(GHQ最高司令官)も手がだせなかった」とうわさされた。その後、取り壊しを請け負った業者が倒産したという話もある。
大鳥居をどうするかは、“地主”の国が96年度末までに決断しなければならない。

鳥居様どうかお移りを・・・

[読売新聞夕刊1995年10月11日]
神社は終戦後に進駐軍の空港整備計画で移転。鳥居も撤去のため、引き倒そうとすると、鳥居の怒りなのか、ロープが切れ、けが人が出るなど事故が続出。それで、撤去は断念され、そのまま残ることになった。

残されたオキツネさま [新日本百景] 矢作俊彦

[週刊ポスト(1996年4月5日号)]
そもそも、この鳥居には因縁話がある。敗戦直後、ここを接収したアメリカ軍が、穴守稲荷神社とその周囲千二百世帯に対して48時間以内の退去を命じた。機械化された工兵部隊を動員して、強制撤去に出た米軍は、しかしこの大鳥居だけは壊すことができなかった。
ロープが切れてジープが引っ繰り返って怪我人が出た。その後、空港が日本に返還されてからも撤去しようとするたびに事故や災難があいつぎ、いつのころからか、ある種の羽田名物としてここに定着してしまった。

羽田空港の怪談 鳥居のたたりじゃー あの日航機墜落も!? 移転話が事故を呼ぶ、82年撤去決定直後に惨事 新滑走路建設の障害も移転先決まらず  鈴木克峰

[スポーツニッポン1998年8月3日]
東京都大田区の羽田空港(東京国際空港)では、1999年度末の使用開始を目指して現在、滑走路の改修工事が進行中。だがこの計画に大きな障害として立ちはだかるものがある。太平洋戦争終戦直後まで羽田の守り神だった穴守稲荷神社の鳥居だ。
終戦直後の45年9月・・・鳥居を取り壊そうとした作業員が次々にけがをしたため、工事は中止。さらにこの仕事を請け負っていた業者が倒産してしまったという。
2度目は82年。空港拡張計画が具体化し、鳥居の撤去も決定。その直後の同年2月、日航機が同空港に着陸直前、機長が逆噴射をおこなったため会場に墜落。24人が死亡する大惨事が発生した。このため「鳥居を壊そうとするとたたられる」との噂が信憑性を増し、撤去計画は再び立ち消えになった。