体験談『父の重篤な肺炎が完治』

花
重い肺炎になり、医師から命にかかわる状態だと診断された90歳になる男性が、気功を学んでいる娘の嶋田清栄さんの気功施術によって回復しました。
彼女は、2005年に自分自身の化学物質過敏症・電磁波過敏症を気功で完治させた経験があり、それからは一所懸命気功を勉強していました。
嶋田さんの体験談『化学物質過敏症の体験談』
彼女は父親の危篤状態の連絡を受けると、青島院長にすぐに相談しアドバイスを受け、病院に駆けつけ、これまで学んできた気功法を繰り返し行いました。その結果、父親の肺炎は完治し、普通の生活に戻ることができました。
また同時に、仕事やお父さんの看病による過労で体調を壊していたお兄さんが、気功で回復したエピソードも教えてくれました。
これらは、家族や大切な人が病気になったときに、どのように対応するかを私たちに教えてくれる、とても貴重な症例です。

嶋田清栄さん 2012年2月18日

今年90歳になった私の父が、昨年12月22日に重篤な肺炎になりました。千葉に住む私は、大阪の父からその日の夕方4時に、「風邪を引いて肺炎になったらしいので今日から入院することになった。病院に来て点滴をうけたので随分楽になったから慌てて見舞いに来なくてもいいよ」と言う電話をうけました。本人の声もしっかりしていたし大丈夫だろうなと気楽に考えていました。ところが、容態が急変し24時前にはほとんど危篤状態になり、人口呼吸器をつける延命処置を行うかどうかの判断をせまられました。人口呼吸器をつけてしまったら気功での回復が難しくなるかもしれない、ととっさに思いました。そして大阪にいる兄とも話し合って、人工呼吸器はつけないことにしました。翌日23日の13時に病室に着き、先生の本『なぜあなたの病気は治らないのか』で額のところをお祓いしてから気功を始めました。父に行った気功は、腎臓、周天、肺回し、お腹回し500回、百会から気をいれる、の6種類でこれらを何度も何度も繰り返しました。

14時半に主治医の先生から病状の説明を受けたところ、自力回復が無いとは言えませんが、高齢のうえ、人工呼吸器をつけないという判断なので、2、3日のうちには結果が出るのではないでしょうか、その時は寿命だと思ってくださいと言われました。

その夜は私が付き添いしました。その後も気功を繰り返し行っていると、17時頃には、徐々に息苦しさもおさまり元気になりだし、座ることもできるようになりました。ところが、19時頃には座ってテレビを見たがるのですが、疲れてすぐに横になるのを何回か繰り返すうちに、「テレビの向きが縦横おかしい」とか、「ここは自分の部屋ではない」とか、「狐につままれたような感じだ」とか変なことを言い出しました。夜が更けていくにしたがって言うことがますます変になり、幻覚症状があらわれだしました。「部屋に知らない人が来て椅子にすわって待っている」とか、「壁から赤色の文字がどんどん浮かび上がってくる」などと言います。私も怖かったのですが、これに負けては大変と思い勇気を奮いたたせて、父の言葉を必死に打ち消しながら、先生の本で何度もお祓いをしました。父がどうしても眠らず、困りはてていたのを見かねた看護師さんが睡眠剤を点滴にいれてくれると、深夜1時半を過ぎてようやく眠りについてくれました。

24日の朝5時半採血、7時レントゲン撮影、9時半には主治医の先生が病状説明に部屋を訪れました。その報告内容は朝のレントゲンの結果、肺の影が良くなっていて、血液検査の肺の炎症を表す数値が良くなり過ぎているので、検査結果に納得がいかないということでした。そして肺に少し水がたまっているので利尿剤を使いたいと言われたので、「昨夜からおむつ替えの度に尿はしっかりでています」と私がつげると、ではこのまま様子を見ましょうということになりました。

その後も眠り続けている父に気功を何度も行いました。16時に眠っている父を起こし座らせて気功をしていると、自力で痰をだすことができました。その痰は薄緑色で、とても粘りが強く固形に近いものも混ざっていて、両手に3杯分の量になりました。大量の痰が出てスッキリしたようでまた眠り続けました。

合計40時間以上眠り、25日の朝には熱36.1度、血圧120、指先の酸素97、尿もしっかり出ていて、痰も切れて、呼吸も楽で、どこも痛いところがないと言ってくれました。その後も気功を続けました。

検温などで部屋を訪れる看護師さん達が、父の回復ぶりに驚いて、どこか辛いところがないかと何度も確認していきました。主治医の先生にも気功をしていることは伝えていなかったので、どうしても納得がいかない様子でした。

26日14時主治医の先生から肺のCT、血液検査結果とも回復に向かっていて、生命の危機は脱しましたという病状報告をうけたので、私は一端千葉に戻りました。

しかし、私が帰った後は、病状回復が遅くなりだし、しばしば父が、息苦しくて辛いと私のところに携帯電話をかけてくるようになりました。私は、その都度、父に、「人に頼るのではなく、自力で気功をして頑張ってほしい」と伝えつづけました。そして、父はそれに応えてくれて、苦しいなか気功を一所懸命行ってくれるようになりました。その甲斐あって、病状はまた回復に向かい、1月4日から7日に再び大阪を訪れた時にはとても元気になっていたので、仕上げの気功と足湯をしてあげました。

1月6日に青島先生に父の病状報告をしたところ、この重篤な肺炎は緑膿菌の可能性も考えられる感染症で、父の持病の肺気腫による肺機能低と、高血圧の薬を常用していることが大きく関係しているといわれました。後で、パソコンで調べてみて、最も治療の困難な感染症の一つであることを知り、改めて恐ろしくなりました。また、幻覚が見え出すととても危険な状態だったことも教えてもらいました。

今振り返って考えてみると、これほど恐ろしい感染症と知らなかったので、諦めずに気功を続けたのがよかったと思います。また脾臓、肺、腎臓に気をたくさん入れたことが全体的な水分の流れを良くして、排尿を順調に進め、早く解毒できたのかもしれないと思います。そして幸いなことに以前から気功を続けていてくれた父が自分で気功をし、気力・体力共に頑張ってくれたことなど、様々な要因が全て良い方向に働いてくれたことが素晴らしい結果をもたらしたのだと思います。

そして、この素晴らしい気功の知恵と技術を教えてくださった先生方に心から感謝いたします。ありがとうございました。

嶋田さんが原稿と一緒に送ってくれたお手紙

こんにちは、遅くなりましたが体験談を添付しましたのでよろしくお願いします。尚、実名を出していただいても結構です。変更する箇所があれば連絡お願いします。

実は、体験談には書いていないのですが、父の入院中に嬉しい出来事がもうひとつありましたので報告させていただきます。

12月23日に大阪の病院に駆け付けて、父に付き添っていた兄に会ったところ、酷く疲れていてただならぬ様子を感じました。重篤な父に気功をして1時間程たった時、兄が私に向って「疲れているところ申し訳ないが、僕にも気功をしてもらえないだろうか」と言いました。父がひと段落ついたところで、すぐに兄に気功をしながら最近の様子を聞きました。するとコンピューターシステム管理の仕事が非常に忙しい時期でほとんど休みが取れず、不眠状態が続いて不安な気持ちに陥りがちだったところに、父の心配と徹夜の付き添いで、いつ倒れてもおかしくないような状態だと話してくれました。私が腎臓に関係する様々な症状をあげると、すべてあてはまると答えました。そこで私にできる限りの気功をしたあと、初めての兄も自分できるように気功のやり方と意味をしっかり教え、足湯と緑豆茶も合わせて行うように伝えました。

その日から、兄嫁も協力してできる限りのことをやり続けてくれました。その甲斐あって、数日のうちに兄はみるみる元気を取り戻していったそうです。

2月16日から18日にかけて大阪の父に会いに行った折に、すっかり元気になった兄に会うことができました。兄が開口一番「このたびは清栄の気功のおかげで元気になることができた。本当にありがとう」と言ってくれました。兄嫁も何度もお礼を言ってくれました。私は心から嬉しいと感じました。

今回父が幸運な結果を得られたのは、恐ろしい感染症と知らなかったうえに、危篤に近い父を何とか助けたいという気持ちと、その場にいた兄の状態をみて、今父が亡くなったら兄が大変なことになると強く感じたこと、そしてロンドンから駆け付ける姉にも是非会わせてあげたいという、これらの強い気持ちが私に火事場の馬鹿力をださせ、そのうえに父の頑張りが合わさってくれたからではないかと思います。

家族みんなでふたつの出来事を喜びあうことができました。感謝の気持ちとともに報告させていただきます。本当にありがとうございました。

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