体験談『化学物質過敏症を発症し、外にでられなくなって4年。気功のおかげでどこへでもいかれる身体になりました』

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匿名希望 2008年4月6日

 2003年の10月から化学物質過敏症を発症し、ついには外にでられなくなってしまって4年。
気功のおかげでどこへでもいかれる身体になりました。
本当に夢のようです。

発症してから車の排気ガスに反応し、人のそばにも近寄れず、家の中でもなにかに反応してしまい苦しむ、地獄のような日々をおくりました。 しかも食物アレルギーがひどくなり、全くのベジタリアンで、しかも食べられるものも限られるという生活でした。 味噌がだめで味噌汁も飲めなかったのです。
家事は一切できず、部屋に閉じこもる幽閉生活になってしまったのです。
おいしいものも食べられず、したいことはなにもできず、人と会うことすらままならないという状況でした。

そして2006年の暮れから、原因不明で足の指が赤くなって痛みだし、トイレに歩くのがやっとという生活になってしまいました。
その痛みを和らげるため、氷で冷やしたビニール袋に足を突っ込んで冷やしていたために、一部が凍傷寸前の症状になり、膿んでえぐれたりしていました。

2007年2月にネットで大明気功を知り、わらにもすがる思いで施術をうけてみようと思ったのでした。
主人には少し霊感があり、私が病気になった頃に、「お線香のいい香りがして、観音様があなたを守っている姿が見えた。この病気は絶対になおるというお告げがあった」 といわれました。
私はなにも信仰もしておらず、観音様にも全く縁がなかったので、どうしてそんなことを言うのだろうと思っていました。
しかもそれから3年も、いっこうによくならない有様でした。
ですが、後になって、これは青島先生のことなんだと私たちは気づいたのでした。

始めは私は外にでられませんので、主人がひとりで施術を受けてみることにしました。
そしてすごい先生だったと主人が言うので、家に出張で青島先生にきていただくことにしました。  先生がみえて、やはり反応がはじまってしまいました。
ところが施術がはじまった途端に、ぴたりと始まりだした反応がなくなったのです。
なにかが吹き飛んだ感じがしました。
本とみかんの皮がだめだというと、それを持ってきなさいと言われ、鼻をくっつけて嗅いだ状態で施術をしました。
全く平気でした。
たばこの煙もだめだというと、主人にたばこを吸ってくださいと青島先生が指示をし、たばこの煙を顔に吹きかけられました。
ところがこれもなんともありません。
私は自信がつき、その翌日から食べ物もいろいろ食べられるようになったのです。

足を施術されたときに、私の足を見た先生は、なんで氷なんかで冷やしてるんだ、やめなさい、 腐って足を切ることになるよ、といいました。
足の一部が膿んでえぐれていましたし、膿みの水泡が次から次へできて、激痛がはしる状態でした。
先生はこの足と化学物質過敏症は絶対によくなるから大丈夫と言われました。
私を信じてって言い切られました。
そして私の部屋も見ていただき、ベッドの位置がよくない、これではいい気がでていってしまうといわれ、先生の言われるように位置を変えました。

2回目の施術から、車で横浜の気功院まで通えるようになりました。

3回目の施術のとき、片足だけ施術してもらうと、明らかに軽くなっているのがわかりました。
施術していないほうの足は重だるかったのです。
青島先生はなぜかお腹のところを念入りにやってくださいました。
実は院につく少し前から、お腹がしくしく痛くなっていたのですが、黙っていたのです。
でも悪いのが先生にはわかってしまったようでした。
そして行くときに車の中の匂いが気になったのですが、帰りは全く匂いがしませんでした。
それから何日かあとに味噌汁を飲んでみたら、全く平気になっていました。
いろいろだめだったものが、どんどん平気になっていきます。
とにかくいきなり治ったので、まわりの人が驚いていました。
そして外にも普通にでられるようになり、足の痛みもどんどんよくなっていきました。
痛みでつま先立ちができなかったのですが、今は足の痛みはほぼなくなり、爪先立ちも普通にできるようになりました。

あるとき先生から、「なぜあなたたちは結婚しないの」と言われました。
実は私と主人は、病気になる前に婚約していて、そのまま同棲している形で、籍は入れていなかったのです。
その青島先生の言葉で、私たちはあらためて結婚について考えるようになり、話し合ってきちんと籍を入れることができました。
主人の仕事のほうも、いい方向に向かっていて、2008年は飛躍の年になりそうです。
ほんとに大明気功に出会えたことで人生が変わりました。
私たちは心から感謝しております。
ありがとうございます。

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